2月10日(日)、1月27日(日)から2週間の今日に思うこと
すごくすごくすごくすごく久しぶりにブログを書こうと思った。
本当は誰にも見られない日記とか、鍵のついているものとか、ローカルのドキュメントだとか、そういうものに残そうか迷ったのだけれど。
もし、もしも誰かがこのブログにたどり着いたときに、わたしはこう思うよって意見の異なる人に巡り会えたらそれはそれで面白いのではないかと思って。インターネットの世界に今の気持ちを残すことに決めた。
なにから書こうか。
このブログのタイトル、「7年目の奇跡」というのは私が今好きなアイドル達と出会ったときに彼らがデビューから重ねてきた年数だ。
ずーっとずぅーーーーーーーっと大好きだった、いまも大好きな嵐。わたしが明確にこの人達を応援すると決めたのは2006年の時だ。
(ちなみにいま一番熱量を持って応援しているHey!Say!JUMPは2014年に出会った。)
嵐さんでいうとその応援スタイルや熱量に変化はあるがかれこれ13年も彼らを追いかけてきたことになる。
今年は嵐さんが20周年の年。
今年初めて見た姿はカウコンの、とてもとってもとっってもかっこよく登場した5人だった。
コンサートにはなかなか行けないし、メディアを通した5人しか見れないことが長くなってきていたけど、それでもやっぱり生放送でコンサートのステージに立つ5人がかっこよくて好きだと思った。
年末に発表された5×20のand moreには絶対行きたいって強く思った。
だからだろうか。年を明けてから無性に「嵐のコンサート」を見たくて、暇さえあればライブDVDを見返していた。
1月27日(日)、その日はなにも予定がなくて、荒れた部屋の掃除や片付け、1週間分のご飯の作り置き、そのすべてを嵐のライブDVDを見ながら過ごした。
ご飯を作り終えて携帯を見たときにわたしは「活動休止」の事実を知った。
最初に浮かんだ言葉は「無理」だった。
ここ最近、ジャニーズタレントの表舞台からの離脱や脱退など、アイドルが人間として、自分の人生を選択している事実を目の当たりにしていたけれど、やっぱりそれはどこか他人事で、自分の身に降りかかるとは一切想像もしていなかったし、ましてや「その人単独」ではなく、だいすきな「グループ」がなくなるかもしれないという現実に拒絶反応しか出てこなかった。
大変失礼な言い方をすれば、もはや5人はわたしが好きな時に自分の都合に合わせて摂取する「食事」や「空気」のような目の前にあることが当たり前の存在になっていたのだと思う。
発表から数日たってから何人かのツイートで見た「いつかそうなるかもしれないと思っていた」「そうなるのであれば大野くん発信だろうと思っていた」という言葉もまったく身に覚えがない考えであり、ある意味自分の知見の足りなさや感覚の鈍さにどん引いたりした。
正直、将来的に親の介護をすることになるかもしれないと思ったことは何度もあれど(※両親ともに至って元気)、嵐がいなくなることを考えたことがなかった、本当に。
だから本当に「無理」という拒絶反応しか出てこなくて、なにがなんだかわからなくて、泣きながら、うわごとのように「無理」という言葉をつぶやきながらFC動画を見た。見たけどなにも理解できなかった。正直この5人の気持ちが前を向いているように見えて、置いて行かてしまいそうだと思った。
そのあとは仕方ないからご飯を食べて、お風呂に入って、そして会見を見た。
会見をみて思ったことは本当にたくさんある。
いちばん心に残ったのは「前を向きすぎてもファンの子もつらいだろうと思う」という言葉だ。「どこまで配慮ができるんだこの人は」と改めて二宮さんに惚れた。
それから、ある意味伝説を作った「無責任では?」という質問に対する翔くんの受け答え。そして、「5人全員が納得できる結論に導くことが自分の役割だと思った」という考え方。心の底からこの人はすごい人だと、なんて聡明なんだと感心してしまった。
会見を見終わって、心の中に浮かんだのは「残された時間を全力で楽しみたい」ということだ。素直にそう思った。
それから日が経って発表から2週間たった今日現在、やっぱりわたしは活動休止の事実と未来を受け入れられずにいる。
「残された時間を全力で楽しみたい」そう思う気持ちはもちろんあるけれど、あんまり「残された時間」という実感がないに近い。要は現実逃避をしているのだ。
その話題になったときに聞く耳を持たないとかそういうことではない。発狂するとかそういうことももちろんない。きちんとした(一応)社会人として生きている。
でも、先日のMステも、活動休止に言及した番組もラジオも、見返すこと・聞き返すことができない。だってそこには活動休止の事実を発表したあとの嵐しかいないから。
ある意味その事実を見ないものとしているのが今日現在のわたしだ。
情けないね。こんなファンでごめんね。
あとこれだけは残しておきたいなっていう感情があるので言わせてください。
「自由な生活がしたい」、ある意味国家まで巻き込んだ一大プロジェクトのようになっているいまの嵐の活動を見ていると、だれもがそう思ってもおかしくないなとわたしも思う。
ましてや5人のスタートは「売れたい」という思いから始まったわけではない(とわたしは思っている)し、同年代が次の道・別の道を選ぶ中で自分も別の道をと思うことはなにも悪くないし間違ってもいないし、正解はなにもない。
でもね、お休みの日に次の日の仕事を考えちゃったり、なんなら仕事を持ち帰って休みのはずなのに仕事をしていたり、普通で自由な人生って案外そんなもんだったりするよ。24歳のしがないOLでもそんなもんだよ。
だから2020年以降、普通で自由な人生を謳歌したあなたがまた、あなたのことを大好きだよ応援しているよってそう思う人たちの前で歌って踊る日がくることをわたしは心から願っています。
なにより、2017年に思い立ってから約3年の間、相反する気持ちを両立させて活動してくれることに心から感謝をしています。(わたしだったら辞めたいと思ったらすぐ辞めたくなっちゃう。。)
いつか目をそらしている現実と未来を受け入れられる日が来るでしょうか。
願わくば、5人が一旦世界から消える前に、その日が来ますように。
2019年2月10日(日)しがない嵐ファンより。
※一部主観的な見方で5人を表現している点があります。考えの違いや事実と異なることがあったらごめんなさい。
※会見の言葉はニュアンスです。